Lovelyz試論〜少女たちの聖域の境界で


■Lovelyzのデビュー

昨年11月、日本風の制服衣装を身にまとい、少女漫画の世界そのもののような寄宿舎的少女フェティッシュを随所に散りばめたデビュー曲「Candy Jelly Love」によって、Lovelyzは「少女」としてデビューした。

Lovelyzがデビューしたのは、ちょうどAPinkが「Luv」でカムバックし、大衆に最高の愛を受けてガールズグループの世代交代の契機をつくった時期でもあり、またコンセプトとしても「少し成熟した女性」を示すことで、内実ともに「少女」から次のステージへ進もうとしていた時期だった。

そして1月にGFriendがデビューすると「Lovelyz 対 GFriend」という構図が語られるようになり、そこに天下を取ったばかりのAPink、また「セクシーコンセプト」の長期的な流行の裏側で少しずつ「かわいい」路線が揺り戻しの徴候を見せていた機運も加わって、以後「清純派」は一定の勢力を得ていくことになる。

ただし、メディアで語られる「清純派」という括りは、一方に「セクシー」を置いた場合の対としての「清純派」であり、内実は様々であった。
「セクシー/清純」の二項対立についてはひとまず置くとして、ここで取り上げたいのは、「少女」コンセプトの復権、とりわけ徹底的にコンセプチュアルに作られたLovelyzの「少女世界」の世界観と、その可能性についてである。

Lovelyzの「少女世界」について今さら説明を加えるのは、あまりに自明すぎて野暮かもしれない。しかしながら、その王道さがいかに王道であるかをいま一度確認することは、「少女」コンセプトの射程を推し量るのに有意義であるだろう。


■「少女世界」の「こちら側」「あちら側」、境界としての「窓」



“<学校>の外は光の中に白く溶けて見えない"


80年代の終わり、大塚英志は紡木たくの著作『みんなで卒業をうたおう』を挙げ、こんなふうに述べていた。
「紡木たくは<楽園>としての学校を少女まんがの伝統にのっとって描き出したが、この物語は最初から最後まで<学校>の中のみで進行し、学校の外部はいっさい描かれていない(中略)あくまで学校の内側のみが描かれ、これが甘やかな、まるで母胎のごとき空間としてかぎりなく肯定される。しかし学校の外部は否定も肯定もされない。むしろまったく存在しないといったほうが正確だ。」(大塚英志『少女民俗学』1989)
「Candy Jelly Love」のMVの舞台は言うまでもなく「学校」である。Lovelyzにおける「学校」もまた、「窓」から入る光は真っ白に輝き、「窓」から見えるであろう「外部」の世界は白く溶けて見えない。かろうじて木々が見えるのみである。身も蓋もなくそれは撮影用のセットであるという”現実”を差し引いたとしても、「Candy Jelly Love」において志向されたのは、現実のものではない幻想としての<学校>であった。


大塚はこのような<学校>を「外部さえ意識しなければ、そこは限りなく楽しく、美しい場所である」と述べ、「無縁」の概念を挙げながら「聖域」であると指摘していた。*1 つまりLovelyzにおける<学校>もまたある種の「聖域」なのであり、いわば密閉された「少女世界」の空間的表現なのである。そして、次の活動曲「Hi」のMVにおいて既にそうであるように、「聖域」が確保されれば、その意匠は必ずしも<学校>である必要はないのだ。

少し話はそれるが、ソニョシデのデビュー曲「また巡り逢えた世界」のMVが屋外の風景ばかりで構成されていたのを思い出してみよう。これは、Lovelyzが提示した世界と比べるとずいぶん対照的である。
「また巡り逢えた世界」を歌う少女たちは、いわば「聖域」から外へ出た後の世界から歩き始めることになった。常にすでに過去のものである「少女時代」を胸に抱いて、ある種の困難とともに未来へと歩を進める力強さは、いまなお古びないものがある。「今は少女時代!」とは「いつだって少女時代!」の意だったのかもしれない。

話を戻そう。Lovelyzの「少女世界」を存立させているのは、しかしながら密閉性だけではない。大切なのは「聖域」の「境界」としての「窓」は、”わずかに開いている”ということだ。

改めてMVを見ていく。まず「Candy Jelly Love」では、開いた「窓」から「そよ風」が吹いてスカートを揺らしたり、幽霊のように突然少女が現れたり、無数のカラフルなカラーボールが溢れ出てきたりする。いわば、「境界」の外部から内部に向けて「不意の何か」が到来する。



いっぽうの「Hi」は、「そよ風」さえ聖域内部の扇風機によって作られる閉じた「窓」ばかりの部屋が舞台だ。そこではガラス瓶に蝶が閉じ込められ、風船は天井でつかえ、花火は消え、シャボン玉は地面に落ちて消えていく。
誰が見てもわかるように、それ自体は「少女世界」の密閉性と儚さの表現であるけれども、一方ではガラス瓶に閉じ込められた蝶は解放され、「少女」は風船によってわずかに「浮上」しようとしている。そして2階だと思われる部屋の「窓」は唯一開いていて、クマのぬいぐるみは「少女」と同じように、風船によって少しだけ「浮上」することで、開いた窓から出ていく”徴候”を見せていた。
つまり「Hi」においては、「Candy Jelly Love」とは対照的に、「境界」の内部から外部に向けてわずかな「浮上」が試みられているのである。


もう少し付け加えるなら、Lovelyzのメンバーの中で「少女」であると同時に「おばあちゃん」でもあるような存在のジエは、最も「巫女」的な存在である。そんなジエだからこそ、「少女世界」の境界に立って「異界」と交信するための窓を開く「おまじない」=「Candy Jelly Love!」/「あんにょん!」の両方を唱えなければならないのである。



このように、「Candy Jelly Love」「Hi」の2曲のMVによって視覚的に表現されたのは、「窓」を介して、異界としての「あちら側」と聖域としての「こちら側」を往来する、Lovelyzの「少女世界」のトポロジーであった。
彼女たちはこの<無垢なる空間>に小さな風穴をあけようとしている。そして、その穴とは、「現実世界」にではなくむしろ「異界」あるいは「霊的世界」に向けてあけられているのだ。
(大塚英志『少女民俗学』1989)


■鏡のような二人、少女の時間への旅行

似てしまった私たち二人 海の上の離れ島みたい
あなたと二人で一緒に歩く今も
何もかも夢みたいよ 夢だとしても私の目が覚めないように
(「秘密旅行(비밀여행)」)
次に、Lovelyzの「少女世界」のもう一つのエッセンスである「少女の時間」について見ていくことにしよう。

少女たちは、「少女世界」がいつまでも続かないことを知っている。いつか終わりを告げ、少女のままではいられないだろうと感じている。だからこそ「夢だとしても私の目が覚めないように」と、少女の時間を引き伸ばそうとする。
Lovelyzのアルバム曲は、そんな「引き伸ばす時間」のモチーフで溢れているのだけれど、「引き伸ばす時間」を歌う空想的な歌詞世界は、Lovelyzにおいては「私たち二人」という双数的・鏡像的な二人の物語として歌われている。もちろんそれは普通に読めば「ボーイフレンド」との出来事なのだけれど、形式を借りて別のことを歌っているのがLovelyzの歌詞世界のひとつの面白さだろう。

具体的に見ていこう。

たとえば『秘密旅行』では、二人は「誰にも気づかれないように」「もっと遠く もっと遠く あなたと二人っきりならいい」と、外部からの声が届かないところまで遠くに旅行し、その深部に向けて沈潜していくように「少女の時間」を謳歌する。

また『遊園地』では、「少女の時間」はすでに一旦は過去のものになっていて、「ひっそりと人知れずひとりで遊びにくる」空想の遊園地と等価である。そこは「幸せだった記憶が蘇る」懐かしい場所だ。幻想であることをわかっていながら、「私が作り出した幻想だとしても」と、幻想の強度に賭けるように「少女の時間」へ旅行せずにはいられない。


別れをテーマにした2曲はどうだろうか。

『昨日のようにおやすみ』では、「昨日のように おやすみ 何ごともなかったように お別れの代わりにおやすみ」と歌い、終わりを否認する形で「少女の時間」を引き伸ばそうとする。
また同じく『別れ Chapter1』では、「私はひとりでもうまくやれるわ」「ふたりでやっていたことをひとりで終わらせるのは 簡単なはずないでしょ」と、いわば双数的・鏡像的な「私みたいなあなた」と離れてしまった後の世界がモチーフになっている。

このように「似てしまった私たち二人」は、「少女の時間」を謳歌したり、深部へ向けて降りていったり、終わりを引き伸ばしたり、あるいは終わった後の世界まで含めて「少女の時間」を訪ねて何度も旅行をする。「少女の時間」を巡って二人は繰り返し移動し、同じような軌道を重ねるように描いていく。「引き伸ばす時間」とは「繰り返す時間」でもあるのだ。

もっともここで、鏡像段階とか想像界という言葉を召喚するつもりはない。Lovelyzにおける鏡像的・双数的世界は、「大文字の他者」へ向けてドライヴするような過酷さとは無縁であり、村上春樹的な世界を召喚するにも役者不足であろう。
そうではなく、これらは基本的に大衆歌謡のために作られた優れた「ポエム」であり、切実な感傷なのだ。過酷なドライヴをする代わりに、Lovelyzの双数的・鏡像的な二人は、「少女の時間」を巡って繰り返し時間旅行をする。たとえそれが幻想だとしても。
一晩だけ サヨナラ
明日はきっと大丈夫
二度と会わない人たちがする
あのサヨナラじゃないのかもしれないわ
(「昨日のようにおやすみ(어제처럼 굿나잇)」)
また会うためにする束の間の「サヨナラ」。また訪れるためにするしばしの離脱。Lovelyzの歌に導かれて、かつて少女でありいまも少女であり続けるひとたちもまた、何度も何度も「少女の時間」へ繰り返し旅行をするだろう。
なぜ少しの間とはいえ離れなければならないのか、ずっとそこに安住していられないのか。私はそれを単に感傷や郷愁や逃避だといって切り捨てることができない。そこには、幻想に賭けなければならないギリギリの切実さがあるからだ。

さて、ここまで見てきたことを踏まえると、Lovelyzはアルバム曲の歌詞世界では「少女の時間」をベースにして切実なる旅行を繰り返し、タイトル曲では「聖域」の境界でイン/アウトを試みる、という構図らしきものが見えてくる。


■「聖域」の境界、古典的少女の挑戦

Lovelyzのプロデューサーであり、Onepieceの一員としてすべての音楽を手がけているユン・サンは、90年代の初めにカン・スジというソロアイドル歌手をプロデュースしていた。ユン・サンは初めてLovelyzの録音をしたとき、80年代後半にカン・スジの録音を初めてしたときの感じを思い出したという。そして、あのとき感じたものをLovelyzを通して若い人たちに伝えたいと話していた。*2


デビュー当初から、Lovelyzは「清純派」として、ソニョシデやAPinkが引き合いに出されることが多かった。しかしLovelyzが参照しているのは、それより以前のS.E.SやFin.K.Lの時代でさえなく、デビュー当時のカン・スジなのである。
Lovelyzは、日本でいう80年代ソロアイドルの直系の遺伝子を引き継ぎ、90年代-00年代をまるでタイムトラベルのように一気に飛び越えて、現在に回帰したアイドルなのではないだろうか。「少女性」を媒介にして、IUとLovelyzの近さを個人的には感じていたけれども、その遺伝子は元々はソロアイドルのものだったのである。

日本では90年代に入ると、「身も蓋もない」時代に否応なしに突入し、処女性と空想を担保する古典的な「少女性」の牙城は崩れていった。しかしその間もたとえば「オリーブ少女」的な少女性は生き続け、身も蓋もなくなれない”ケガレ”なき勤勉な少女たちもまた、現実との軋轢のなかで生き続けていたはずである。

「身も蓋もない」時代を経た後のグループアイドル全盛の真っ只中に、Lovelyzは80年代のソロアイドルの遺伝子を受け継いだまま、古典的な「少女性」を具現化して登場する。グループアイドルという現代的なフォーマットを借りて、古典的少女は再び表舞台に立ったのである。

先にソニョシデの「また巡り逢えた世界」について少し触れたけれど、ソニョシデは「聖域」から出た後の世界で現実を相手に生きていくような力強さがあり、「成熟」することが枷になるようなコンセプトではなかった。むしろ「成熟」は痛みを伴いつつも”要請”されるものであっただろう。
またいっぽうでIUは、「Good Day」における”3段高音”のように、「少女性」の聖域から得体の知れない力で自らを解き放つことで未来を見せてくれた。もう少し言えば、クロノロジカルな時間に彩られた「聖域」の空間そのものを、「過去」と「未来」が同質になるような非クロノロジカルな時間によって解体し、閉域を突き抜けて見せたのだった。*3



時が経てば、否応なしに経験は蓄積し、Lovelyzのメンバーそれぞれの生身の身体に「成熟」や「実力」が刻まれてくるだろう。それはそれで楽しみなのだけれど、それとは別に、デビュー当初から完璧な「少女性」をプロデュースして見せた製作陣が、Lovelyzをどのように展開させるかにとても興味がある。それはまた「どのように終わらせるか」に興味があるということだ。

Lovelyzの戦いは、「成熟」へ向けた物語というより、「少女世界」の境界で繰り広げられることになるのではないだろうか。私は、いまのところそんな気がしている。
圧倒的な「異界」を呼び込むような力を使うことは、おそらくLovelyzには似合わなくて、彼女たちは今ちょうど「アンニョン」のMVにあった風船のように、等身大に近い世界から「わずかな浮上」を試みている。飛べない少女として、地上から空を夢見て憧れるだけではなく、Lovelyzの少女たちは「勇気を出して」自らも「わずかに」浮上してみせるだろう。私はそこに賭けたくなるのだ。

しばらくは、Lovelyzから目が離せそうにない。

私たち会わない?私今話したいことがあるの
私たち会おうよ 聞いてみたいことがあるから
勇気を出して言ってるのよ
だから正直に答えて
私たち会わない?長い間ずっと待ってた
(「アンニョン(안녕)」)


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*歌詞の日本語訳「K-pop 歌詞和訳」http://ameblo.jp/0405ky/theme-10085957697.html
*1 大塚英志『少女民俗学』(1989)。同書においては、網野善彦『無縁・公界・楽』を挙げ、少女たちの<学校>を「無縁」の場=アジールの系譜として捉えている
*2 Lovelyz - Yoon Sang Interview : https://youtu.be/BV0vloio34E
*3 IU「You & I」(日本語字幕) : https://youtu.be/xc4Y9HmV2dM
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